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【世界遺産】上賀茂神社と下鴨神社

京都の世界遺産(世界文化遺産)は、京都市、宇治市、大津市に17ヵ所あります。

今回は、その中でも最古の「上賀茂神社」と「下鴨神社」について、その違いと関係を調べてみました。

上賀茂神社の楼門

上賀茂神社の立砂(細殿)

 

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、通称「上賀茂神社」:(御祭神・賀茂別雷神)と

賀茂御租神社(かもみおやじんじゃ)、通称「下鴨神社」:(御祭神・玉依媛命・賀茂建角身命)は、一つの「賀茂社」でした。

昔は、賀茂氏(かもうじ)の氏神を祀る「賀茂社」と称した一つの神社で、上賀茂神社を「上社」、下鴨神社を「下社」と呼んでいました。

ここからは神話の世界になりますが、上賀茂神社に祭られている賀茂別雷大神の母親にあたる「玉依媛命(たまよりひめのみこと)」と、祖父にあたる「賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)」が下鴨神社の御祭神です。賀茂建角身命は山城国(現在の京都府の南部地域)の賀茂氏の祖神です。賀茂氏が定住したため、この地を「賀茂」と呼ぶようになりました。

ある日、玉依媛命が瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)で身を清めていると、川上から一本の丹塗矢(にぬりや)が流れ下ってきたので持ち帰り、床に祀り休んだところ、矢は美しい男神に変身し御子を授かりました。その子が元服を迎えると、祖父であり一族の長である賀茂建角身命は八尋殿(やひろどの)を造り、幾多の神々を招き七日七夜の祝宴を催します。その席で「汝の父と思う神に盃を捧げよ」と賀茂建角身命が御子に盃を渡したところ、盃を天に捧げ「わが父は天津神(あまつかみ)なり」と答え、屋根を突き破り、とどろく雷鳴と共に天へ昇ってしまいました。この時に御子の名を賀茂別雷命と名付けられました。

写真・細殿にある立砂・盛砂(もりずな)ともいい、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔御祭神が最初に降臨された、本殿の後2㎞にある円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので、神様が降りられる憑代(よりしろ)です。鬼門・裏鬼門のお砂をまき清めるのはこの立砂の信仰が起源で「清めのお砂」の始まりです。

下鴨神社の楼門

下鴨神社の中門(この奥に東本殿と西本殿があります)


また、御神紋が双葉葵ですが、上賀茂神社(左)、下鴨神社(右)で陰陽になっています。

賀茂祭(葵祭)は賀茂社の例祭で544年に始まり、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば賀茂祭のことをさすほど有名でした。京都三大祭としても有名です。

(上賀茂神社、下鴨神社の公式サイトより)


上賀茂神社には今年の大河ドラマにもなっている紫式部も参拝されている「片岡社」があり、平安の時代より縁結び、恋愛成就の神様として有名です。また、下鴨神社の境内にある糺の森は、いつ訪れても心が洗われ厳かな気持ちになります。二つの神社の強い繋がりを知り、次に訪れる時は、また違った心持ちで参拝できることでしょう。


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