冬の十和田湖
十和田湖(とわだこ)は、青森県十和田市と秋田県鹿角郡小坂町にまたがるカルデラ湖です。火山噴火で陥没しそのくぼ地が湖となりました。最大水深は326.8 mで日本の湖沼では第3位、面積では日本の湖沼では12番目です。この湖から唯一流出する奥入瀬川が、湖東岸より北東方向に太平洋に向かって流れ、湖から約14 kmにわたる奥入瀬渓流となっています。十和田湖は「十和田火山」として、約20 km北の火山群である八甲田山ともども防災行政の監視対象になっています。
(十和田湖の成り立ちより)


乙女の像
十和田湖畔休屋の御前ヶ浜に建つ「おとめ像」。詩人にして彫刻家であった高村光太郎の傑作として知られ、十和田湖の文字どおりのシンボルとなっています。光太郎は「立つなら幾千年でも黙って立ってろ」と詩にも詠んでいますが、昭和28(1953)年秋の完成からすでに60年が過ぎました。改めて建立のいきさつを辿ってみることにします。
十和田湖を世に出した功労者は、明治の文人・大町桂月、「十和田知事」の異名をとった武田千代三郎知事、地元の法奥沢村長で県議でもあった小笠原耕一の三人であると言われています。この3人の顕彰をねらいとした記念事業が、昭和初期から県の手で練られ、昭和21(1946)年には「自然石を使った記念碑建立」の方向で動いていました。
昭和22年春、初の民選知事として就任した津島文治は「世界的な景勝地に、ありきたりの石碑では似つかわしくない」と従来の計画を白紙に返し、新構想のための建設準備委員会を発足させました(昭和25年)。県職員四人による委員会の中心になったのが横山武夫(当時県教委教育次長でのち副知事、歌人)。委員会ではさまざまな意見が出ましたが、横山はかねてから強い印象を抱いていた関東大震災復興記念像「悲しみの群像」(被服廠跡)のような芸術作品を据えることを提案、これにまとまっていました。
(乙女の像の建立のいきさつ)
青森の十和田湖を訪れる事2回目。1回目は緑が鮮やかな9月でした。十和田湖の湖畔と見上げた空は真っ青で、それは目にも鮮やかな景色でした。その時も、一緒に行った友人と像の前で同じポーズを取りましたが、今回は雪の中。雪景色に佇む裸の乙女は凛としていて寒さを感じさせません。ただ、水際を歩く私達に吹きすさぶ風が冷たくて再会を果たせた事に満足して、来た道を帰りましたが。十和田湖はきっと、どの季節も青い空と深い湖が素敵なんだと思います(*^^*)
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